又兵衛桜と醍醐の桜

今年も異常気象の煽りを受け、開花予定も大幅に変化した。
2月の中旬から気温も上がり、このままだと開花予定も早くなると気象庁の開花宣言も1週間前倒しの発表。
(後にこれが間違っていたと誤り訂正もあったが)
その途端また寒さがぶり返し、何と3月の中旬まで続くしまつ。折角蕾となった桜がまた冬眠状態となり、やっと3月後半になり咲き始めたという将に異常気象に振り回された今年の桜前線の始まりだった。
4月に入り一斉に全国の桜便りが流れ、女房のリクエストに応じて奈良は又兵衛桜、京都は醍醐の桜と二日間渡り歩いたのでした。
平成19年

4月7日:又兵衛桜
     (奈良県大宇陀町)
      天候:曇りのち雨

4月8日:醍醐の桜
      (京都市醍醐寺)
        天候:晴れ
又兵衛桜

4月7日(土)又兵衛桜

朝から曇りがちであった。しかしテレビのニュースで桜便りが報じられるようになると、急に身体が反応してくる。どうも日本人という民族は桜に特別な反応を示す人種であるらしい。早速女房が反応を示した。
「ねぇ〜行こうよ!」。ではと言うことで、前から気になっていた又兵衛桜に行く事にした。
2000年のNHK大河ドラマ「葵・徳川三代」のオープニング画面で使われ一躍有名になったこの又兵衛桜(またべえさくら)は大坂夏の陣で活躍した又兵衛にちなんで名づけられたそうです。又兵衛は戦いに敗れこの地で僧侶になり、性を後藤と名乗り、その場所は後藤家の屋敷跡だそうな。樹齢が300年というから驚きだ。
このNHKに放映される前までは静かで落着いた村里の桜という雰囲気(但し、地元やカメラ雑誌には度々紹介される名所ではあったが)が一変して大挙大勢の人が訪れる観光名所になったのだ。

小雨の降る中の桜鑑賞であったが、やはり噂に違わず1本の樹齢300年の織り成す大樹の枝ぶりは見事であった。周りに咲く桃の木が彩りを添えていた。
4月8日(日)醍醐の桜

京都は奈良と違って混雑する。しかも今回は上醍醐寺までハイキング。よって自宅を早めに出発した。
桜も今が一番見頃。11時前に着いた醍醐寺は、もう大勢の人出があった。
秀吉がここで花見を行った際、全国から何千本もの桜が取り寄せられ、以来教京都を代表する桜の名所となったところ。醍醐の枝垂れ桜、又兵衛の枝垂れ桜、ともにどこか似通った雰囲気があった。


醍醐寺から標高400m(標高差で250m)にある上醍醐へは登りで約1時間少々、更にその上にある開山堂まで行けば休み休みで1時間20分かかる。まるでハイキングに行く感覚だ。西国三十三ヶ所霊場中最大の難所の一つであり、西国第十一番札所にあたる。この日も大勢のお参り客と観光客が階段を喘ぎながら登る姿が見受けられた。
きついよ〜と聞かされていた人はそれなりの覚悟は出来ているが、まるで出来ていない人も多く見られた。
必ずと云ってこの標高差に音を上げる。しかも階段が多いのも要因か。醍醐寺の裏山に簡単に登れると思い、全く分からないで登る観光客が大半であった。
我々が下山の際出会った中で、どう見ても無理そうな中高年の観光客に、止めたほうが良いですよ〜と忠告して素直に従ってくれた人2〜3組。じっとうずくまって真っ青な顔してでも登ろうとした若い女性、彼女はその後どうしたのだろうか?

上醍醐寺 下に見えるは「醍醐水」の社





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