空っ風 


 2016年の回想

今年も家内に須磨浦公園までクルマで送ってもらい4時前には行列に並ぶことができた。

例年よりも暖かく風も吹いていないので楽な待ち時間だったが歩くには大変そうな予感。

5時10分スタート。ストックなし。

のぶさんに教えてもらった「息が上がらないようなゆっくりペースで休憩も少なめ」で
鵯越駅まで殆ど休憩なしで辿りつくが、足の違和感もなく攣るような症状も出てこない。

この調子この調子と思っていたら、残念ながら菊水山の途中から左足が少し攣ってきた。

10時09分、菊水山到着。

休憩もそこそこに切り上げて気持ちが萎えないうちにスタートし次の鍋蓋山を目指す。
菊水山を下る辺りから左足に加え右足も攣ってきたので鍋蓋山への登頂が不安になる。

11時18分、鍋蓋山到着。

足を労りながら次の大竜寺を目指す。

11時56分、大竜寺到着。

桜茶屋の所でトイレ休憩とバナナ・ミカンを食す。
とにかく掬星台まで頑張ろう。
ローペースで黙々と歩く。

14時17分、摩耶山・掬星台に到着。

人一倍汗をかいたので着替えと靴下をチェンジする。
おにぎり2個は食べたが行動食として用意したパンは喉の通りが悪く食べられない。
このままだとシャリばてで完走が難しいかもしれないということが頭をよぎった。
運よく藤原商店でカレーまんを食し生き返る。
郵便局のところでも甘酒をごちそうになり完走できそうな手応えを感じる。

16時11分、記念碑台通過。

みよし観音像に手を合わす。
辺りは暗くなってきたがヘッデンを出すタイミングが合わない。

17時30分、一軒茶屋到着。

ヘッデンを出す。
暫く歩いて東六甲分岐点に到着するが、先頭は辛いので若い人についていく。
疲労も蓄積して下りでの押さえが不十分になってきているので今迄以上に転倒に注意する。
西宮の夜景が綺麗だ。

18時57分、大平山到着。

あともう少しの辛抱だ。

21時02分、宝塚ゴール。

ビールを買う予定だったゴール前にあったコンビニがなくなっていた。
3年振りに完走し、盾も目標だった12個になったので気持ちよく引退できる。



神戸に転居した1988年から2016年まで足掛け29年、随分と長い道のりだった。
完走:12回
リタイア:5回
タイムアウト:1回
売切による不参加:3回
途中引退期間:(8年間)8回



2014年から2015年までの回想

全縦を完走するほどの体力も気力もなくなってきたので60歳という切りのいいところで
引退しようと一昨年の2014年、直前に風邪を引きマスクをして全縦に出場するものの、
摩耶山・掬星台のチェックポイントのところで力尽きリタイアする。

翌2015年、リベンジに燃えていたが、摩耶山・天狗道学校林道分岐のところで気力が
なくなり、ボランティア(誘導班)にリタイアを申告する。
折角ここまできたが、学校林道・旧摩耶道から新神戸を経由して三宮に戻り自宅に帰る。



1988年から2013年までの回想

神戸に転居した1988年、何気なく見た市の広報に「六甲全山縦走」参加募集案内を発見。
若気の至りか、練習なしで臨むが何故か完走。
5時06分にスタートして宝塚ゴールは22時06分で、実に17時間も歩いていたのが不思議。
代償も大きく、足の裏には大きな水ぶくれと一週間しゃがめない状態が続いた。

当時の参加料は500円で、9月1日から交通センタービルのインフォメーションセンターで
売っていたが、1週間しても売り切れることはなかったように記憶している。
途中のチェックポイントは、妙法寺、大竜寺、六甲山ゴルフ場、東六甲分岐点。
六甲山ゴルフ場ではライトを持参しているかのチェックをしていた。
登山が趣味でないのでヘッデンなど持っておらず、懐中電灯を紐で首からぶら下げられるように
していたのを覚えている。

1989年も練習なしで参加し完走するがタイムは11分短縮できただけであった。

3回目の参加となるはずだった1990年の大会は、多寡をくくって遅く買いにいったら
既に売り切れていて参加できなかった。

2年振りに参加した3回目の1991年の大会は、実力を超えたハイペースだったため
菊水山でガス欠状態になりリタイア。

4回目の1992年の大会は、それなりに練習はしたものの練習不足だったのか、
摩耶山・掬星台を過ぎたサウスロードのところで足攣りが酷くなり無念のリタイア。

1993年、六甲全山縦走を結婚10周年記念行事の一つとして位置づけ、家内に参加を願う。
二人とも無事完走する。
家内は参加を願った6回の大会で完走を果たしており完走率100%で頭が上がらない。

1994年、完走。

1995年、1月に発生した阪神淡路大震災の影響で大会の開催を危惧したが、例年通りの開催で
震災を吹き飛ばすつもりで完走できた。

1996年、購入するのをすっかり忘れていて、慌てて購入に走ったが売切れで参加できず。

1997年、私は6回目、家内は4回目の完走を果たす。

1998年、私は7回目、家内は5回目の完走を果たす。
何故かは忘れたが「燃え尽き症候群」的な感じになり、翌年の1999年から2006年までの
8年間、全縦から引退していた。

何か物足らなさを感じ再び全縦に参加した2007年だったが菊水山でリタイアしてしまうことに。

2008年、練習方法が悪いのだと思い、「六甲縦走 練習」等のキーワードで囲炉裏を発見するも
入村は月例会参加が必須だったため、全縦大会の時は村民にはなれず、個人でぼちぼち練習した。
が、結果は前年よりもっと悲惨で、スタート時間が遅く途中渋滞だったにも関わらず、いつもの調子
で歩いていたら、東六甲分岐点の最終チェックポイントを2分遅れでタイムアウトになってしまった。

12月の忘年会を兼ねた月例会で晴れて村民になれる。

2009年、村民になったのもあり、再び家内を誘い全縦完走。私は8回目、家内は6回目。

2010年、9回目の完走。

2011年、10回目の完走。

2012年、従来の交通センターから産貿センターに発売所が変わり、たまたま土曜日だったことも
あり、ゆっくりチャリで買いに行くも大変な行列で、係員に「買えないことを前提で並んで下さい」
と言われ、結局買えず不参加になり、濱やんにお叱りを受ける。

2013年、11回目の完走。


ボランティアがいてこそ大会が開催できることを自覚した2009年、笹原峠(船阪峠の1km手前)
で誘導班として活動したが、最終通過者、赤鬼、青鬼が通過した後にしか撤収できないことが分かり、
こんな時間から宝塚まで行くなんて悲しいと思っていたら、もう一人のボランティアの方が、分岐点
にクルマを置いていたようで、三宮まで乗せてもらった。
ということで、ボランティアも役割や場所を考慮して要望しないと大変なことになることを学習した。
2014年は、須磨浦公園から菊水山を徒歩班として担当した。
2015年は、チェッカーとして菊水山のチェッカーを担当した。




   コメント
囲炉裏に入ってからの全縦練習会ではのぶさんには色々お世話になりました。
ダイエットされたのぶさんの練習会でのスピードには恐れ入りました。
全縦本番参加は引退しても時間が合えば練習会には参加できますので宜しくお願いします。
ハンドル:空っ風
空っ風さん ご無沙汰しております。

全縦完走お疲れ様でした。

濱やんと同じく、偉大な全縦史に敬服しております。

今回で卒業との事ですが、またご一緒させてください。

私の方は、私事の為ここ数年全縦を欠席しておりますが、また再開しようと思っています。
ハンドル:のぶ
空っ風さんお疲れ様でした。

以前、全縦の練習会の後、缶ビールを買ってきて一緒に飲んだ事を懐かしく思います。

29年間ですか・・・

凄いの一言です。

私なんか5年間で止めようと思っているのですから・・・

また、どこかでビールご一緒下さい。
ハンドル:山さん
「ゆうこうりんさんへ」やて。
風邪で熱があるせいか宛先までミスして申し訳ありません。
ハンドル:空っ風
ゆうこうりんさんへ

突っ込み(?)了解しました。でも最近バンダナUPがないように思いますが・・・。
色んなジャンルでご活躍されているので、どうしたのか心配しています(笑)。
ハンドル:空っ風
遅ればせながら、空っ風さん、29年間お疲れ様でした。
そして12回もの完走、おめでとうございます!凄いですね!
私はたった一回のチャレンジで、それでも何回も自主練して本番完走した事に、唯一の誇れる話しですのに(^.^)
これからも勿論お元気で山やバイクなど楽しんで下さいね。(⌒▽⌒)
そして、書き込みでからっかぜって(からかって)下さい。(ついにオヤジギャグ言う様になった(^^;;)
ハンドル:ゆうこりん
皆さん、コメントや激励をありがとうございます。

全縦は引退しますが、村民であり登山は続けますので今後とも宜しくお願いします。
元はと言えば、全縦が縁で囲炉裏に入村できた私です。(エピソードD参照下さい)
29年間のまったく個人的なエピソード
@神戸に転居した1988年、市の広報に全縦参加募集が載っていたので練習なしで初参加。
 完走はするものの、水ぶくれとしゃがめない状態が一週間続いた。
 当時の参加料(購入代)は500円。CPは妙法寺、再度山大竜寺、六甲山ゴルフ場、東六甲縦走路分岐点。
A阪神淡路大震災が発生した1995年(H.7年)、全縦の開催を危惧したが開催され、なんとか5回目の完走を果たす。
B1998年(H.10年)大会で完走7回目になったので、翌年の1999年(H.11年)から2006年(H.18年)までの8年間、全縦を引退した。
C何か物足らなくて全縦に復帰した2007年(H.19年)、それなりに練習したが結局リタイア。
D翌2008年(H.20年)、練習方法が悪いのかと思い、「六甲縦走 練習」等のキーワードで囲炉裏を発見するも、平日開催の月例会に参加しないと入村できないことが分かり、やっと忘年会と月例会を兼ねた12月に無事入村することができた。
ハンドル:空っ風
12個目の盾ゲットおめでとうございます☆
@((*^。^)オメデト∠※ポン!。・:*:・゚´★,。・:*:・゚´☆ミ

足かけ29年とは…ルサオの人生の半分近く。。。凄いっ!!!@@;
全縦から引退されても末永く山を楽しまれてください(^_-)-☆

空っ風さんの全縦モードの歩く速さに全くついていけなかったルサオです〜(^^ゞ
ハンドル:ルサオ
空っ風さん 完走おめでとうございます。完走12回はスゴイです。少なくても12年かかるもんね。本当にお疲れ様でした。
ハンドル:smoch
完走おめでとうございます!
私が始めて出たのが1989年(平成元年(昭和64年))です。
お疲れ様でした。
ハンドル:濱やん