上海・蘇州、三泊四日の旅

大阪から上海まで僅か2時間30分、時差も1時間遅れ。今じゃ中国全土が世界の工場と化し、GNPが為替レート換算方式で1998年時点で世界の7位(購買力平価では世界2位)に急成長している中国。その中でも上海が代表格、その変身ぶりを一度観てみたいと思っていた。
今から4年前(平成15年)の2月、一度チャンスがあった。しかし、世界を震撼させたサーズ騒動に巻き込まれ直前キャンセルで涙を呑む。ついに2回目のチャンスが巡ってきた。しかも1年を通じてこの1〜2月の旅費は格段安い。再度連休を利用してリベンジを果たしてきた。蘇州も含めて(^^)
やはり『百聞は一見に如かず』のことわざ通り一見の価値は充分あった。進歩し続ける上海、その僅か100キロしか離れていないが歴史の宝庫、蘇州。この間で都市と農村、沿海部と内陸部の貧富の格差が大きかった。それが今の中国の実態だろう。ガイドによれば、今の上海で中国企業に勤務する人の平均的賃金は約3000元(1元=16円)、日系企業或いは欧米企業に勤務する人の賃金は約10,000元。約3倍以上の格差があると言っていた。今後、中国がどのように舵取りをしていくのだろうか?
日程:  平成19年2月9日〜12日

1日目:出発時間:関空18:55発〜上海20:35着 【上海泊】

2日目: 終日:上海市内観光
     (★外灘★豫園★上海博物館★上海老街と新天地
           ★ナイトクルーズ)       【上海泊】

3日目: 終日:蘇州日帰り観光
     (★拙政園★寒山寺★運河遊覧★虎丘斜塔
         ★刺繍及び絹製造見学)     【上海泊】

4日目: 8:50上海発〜関空11:50着
ナイトクルーズより船上から見た上海の夜景

関空を夕方出発し、その日の20:35に上海浦東国際空港に到着。ツアーと云って現地集合の現地ガイドが出迎えのパターン。
税関からロビーに入るとと大勢の出迎えの人がパネルや旗を持って待っていた。我々の旅行会社の旗は見当たらない。
予め出口を右に出てそこに現地ガイドが待っていると聞かされていたが分からず少し不安になる。
言葉が分からないので聞くに聞かれず。まあ〜何とかなるわと思いながら右奥に進むとやっと旅行会社の旗を見つけた。ホッと一安心。二十数名が集合していた。更に夫々オプション別に区分けされると十人に満たない少人数となった。
現地ガイドが1名付き添い、後は彼に従ってバスに乗り込む。
毎回我々の旅の始まりだ。少人数の方が親しみも湧き、アットホームの旅が出来るのでこの方が好きだ。
空港から上海市内まで約1時間、ガイドの明日からの行動スケジュールを聞きながら、夫々宿泊ホテルに送迎してくれる。
私達は3軒目、その2軒目のホテル玄関先でハプニング発生。何とバスがバックした瞬間後方を通過したタクシーに接触。双方運転手が大声で怒鳴りあいを始めたではないか!ヤレヤレ(ー_ー)
こりゃ〜ホテル到着が遅れるワイ。どちらが悪いか分からないが早く済ませて欲しいものだ。暫く待つより方法なし。その内パトカーが来て状況説明を聞いて一件落着。待つ事約40分、やっと終わったみたいだ。ガイドが簡単な説明はしてくれたが、運転手は待たせた事に対する侘びは一言もない。これが現地の常識か?昨年中国も保険制度が改正され、日本と同じように保険会社に託して修理するようになったらしい。
中国は車社会に入ったが交通ルールが極めて悪く、その後何回か横断歩道を渡る時もヒヤヒヤした思いをさせられた。『車優先人後』世界で一番交通事故の多い不名誉な国にもなったのも事実であった。
上海浦東国際空港 CENTRAL HOTEL SHANGHAI (王宝和大酒店)

翌2日目
朝8時30分に迎えのガイドが来た。昨日と違う人だった。日本語が未だ未熟な女性で別のホテルまで引率が彼女の役割。ここで大型バスに乗り継ぎ本日の観光が始まった。日本語堪能な女性ガイドにバトンタッチ。この人が結果的に我々の帰国までのガイド役に偶然が重なった。結構親切な人だった。
そうそう、ホテルについての感想。当初三ツ星なので少し不安だったが、全体評価としては良かった。部屋も広くて綺麗。しかも南京東路の歩行者天国にも2〜3分。繁華街や何かと買物にも便利な位置にあった。

ホテル全景 部屋から見える景色

★まずは豫園(よえん)から
豫園の周辺は土産物屋で賑わいのある場所だった。建物や町の雰囲気は中国の匂いが色濃く残されている。1559年四川省の役人・藩充端が父の為に造ったという私庭で、約18年の歳月をかけて造られた中国式庭園。約2万uの敷地内に数々の名建築が点在し、江南随一と称えられる銘石の数々は圧巻だった。ここで単純な疑問が残る。何故こんな立派な庭園を個人と云えども所詮は役人、造るにも限界がある。しかしおよそそんな金銭的な面を遥かに超越した贅沢さに、その当時の役人(一握りの)は計り知れない金持ちであったかと思い知らされた。敷地の中に愛人も同居させ、或いは京劇まで鑑賞する舞台をつくるなど桁外れ。何時の世にも何処の国にもこんな人間がいるものだ。権力を誇示するかのように!その後所有者は何代も変わり、1956年に一般に開放され現在に至っている。
 豫園の入り口にある湖心亭 他に画像あり 回廊に囲まれ立派な楼がアチコチに点在
豫園界隈 お茶の試飲

★外灘(ワイタン)
かつて1842年アヘン戦争でイギリスに敗れた中国は5つの開港を余儀なくされ、ここ上海も1920年台に欧米列強は競って進出し、外国人が自由に商売できる区域を建設した。それが外灘の始まりだ。
美しい西洋の建物が並び、今では上海の代表的な観光名所になり、夜はライトアップされカップルのデートスポットにもなっている。しかし、外灘の北端にある公園は、かって1868年イギリス人によって造園され、当時「犬と中国人は入るべからず」と看板が立てられ一般の中国人の立ち入りを禁じられていた事から、租界地における差別の象徴として知られている。
昼前にここを観光したが天気はイマイチ。霧で霞み対岸の浦東地区にある象徴的なテレビ塔の景色もぼやけていた。しかし、夜景は絶景に変身。下記で紹介。
対岸の浦東地区のテレビ塔や近代ビル群 眺めにうっとり
観光隧道の入り口と後方中国銀行 今では市民の憩いの場

★上海博物館新天地
上海博物館は1階から4階まであり、全部見学すると1時間30分かかるらしい。我々ツアー客に与えられた時間が約40分。興味のある館を重点的に見学。その中でも古代陶器館や絵画館が面白かった。
新天地は今や上海随一と云われるプレイスポットになり、情緒あふれるレンガ造りの建物を利用した店など“食遊買”の三拍子そろったファッショナブルタウンになったとか。
昼食メニュー。味はマズマズだった。 上海博物館
新天地メイン通り メイン通りよりやや奥まったところ

★ナイトクルーズ
本日の何といってもハイライトはナイトクルーズだ。“上海に来てこれを観ずに帰るとは上海に来てないと同じ”と云われる程。成る程観るに一見の価値があった。外灘周辺の景色は、夕景から大きく様変わりしてくる。
それを船上から見るのも楽しみの一つ。ライトアップされたレトロ調の洋館、近代的を象徴するモダンな浦東のビル街、幻想的な夜景を約3時間30分楽しんだ。
出航前の船内 外灘側のレトロな洋館がライトアップ
浦東地区、468mのテレビ塔 船上では少し寒かった

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