10月6日(土) 3日目 ヴェルサイユ宮殿 凱旋門 シャンゼリゼ大通り散策及びショッピング ヴェルサイユ宮殿にはRERに乗って、開館の9時に着くよう早めにホテルを出発したが、若干遅れた。でも結構な人が並んでいて、入るまでに約20分ほど要す。
午前中はヴェルサイユ、午後から凱旋門とシャンゼリゼ大通り及びショッピング、そして時間があったらモンマルトルにも行ってみたいと思っていたが、結構疲れが出てきたてので、モンマルトルはパスとなった。無名の画家の絵を安く買いたいと目論んでいたのだが・・・。
ヴェルサイユ宮殿 観光ツアーのお決まりコースだが、ヨーロッパの黄金時代を象徴するこの宮殿は、やはり初めてパリに来た人には一度は訪れたい場所だ。それも自分達の足で電車に乗り継いでいくから一入印象に残るだろう。ネットで調べると、9時前に行くのが良いと複数書かれていたので、それに倣った。やはり正解だった。我々が帰る12時頃には、多分2時間待ちと思われる程の長蛇の列だった。それと、11年前に訪れた時は、庭には自由に出入り出来たが、今は別料金を徴収していた。
メトロの駅構内 | ベルサイユ行きRER車内の 天井図柄 | ベルサイユ・シャトー・リヴ・ゴーシュ駅 |
只今の時間9:25でこの列 | マリー・アントワネット の居間 | クリスタルのシャンデリアが輝く鏡の回廊 |
ナポレオンの戴冠式 ルーブルとヴェルサイユの絵が少し違う。 こちらがルーブル。 ダヴィット作 |
こちらがヴェルサイユにある戴冠式 ナポレオンの妹のドレスが、ルーブルは純白、 ベルサイユはピンク色。 レプリカである。 |
絢爛豪華な王の大居室 |
凱旋門 ヴェルサイユから凱旋門迄同じルートで戻り、メトロのシャル・ルドゴール・エトワール駅で下車。この凱旋門は、「エトワールの凱旋門」として世界で知られている。シャルル・ドゴール広場にどっしり構える門は、まさに「栄光の門」と呼ぶに相応しい威厳を感じさせる。
周りは車のロータリー交差点になっているので、シャンゼリゼ通りとその反対側の2か所の地下通路からでないと入れない。地下通路には長い行列が並んでいたが、我々はパリ・ヴィジットカードを持っていたので、並ばず一番前までスルーした。
カードを見せれば、荷物検査をされ階段を登れと指図。しかし、足が悪い理由を事前にフランス語に翻訳した文章を見せると、再度別の入り口を案内される。
そのお陰で全員がエレベーターに乗ることができた。らせん階段を登ると優に20分は掛かるだろう。
「 エトワールの凱旋門」 | 地下通路から入り口 へ | 左が登り口 |
東南東方面 | 右の高い建物がモンパルナス・タワー | シャンゼリゼ大通り |
エッフェル塔方面 (南側) | モンマルトル丘のサクレ・クール聖堂 | 凱旋門屋上 |
シャンゼリゼ大通り散策及びショッピング シャンゼリゼ大通りは、凱旋門からコンコルド広場に至る全長2Kmだが、歩行者天国の日には、通りの真ん中を歩く事ができる。残念ながらその日でなかった。
この通りに沿って、マロニエとプラタナスの並木、緩やかな勾配をもつ広い舗道の両側にブティックやカフェが軒を並べる。
自動車のショールームも銀行も、全てが豪華でいて、どこか落ち着いた雰囲気がある。
正面奥に凱旋門 | ||
カフェが軒を並べる | 「 パフパフ」の救急車?が通過 | スーパーマーケット「モノプリ」でショッピング |
10月7日(日) 4日目 帰国日 早朝、少し天気が崩れる予報だったので、前日ホテルでタクシーを予約。ド・ゴール空港まで45€。
メトロ、ロワシーバス乗継で行くより、この方が安くついたし、荷物もあるので楽だった。初日、タクシーでホテル入りしたら、被害を受けずに済んだのに・・・・と思うと。
ここでもポケトークが大いに活躍した。搭乗手続きのカウンターが長蛇の列。たまたま空いているカウンターの男性にポケトーク片手で話しかけると、イケメン男性がギョッ!とし、フランス語に通訳された内容を聞いてくれた。今度はフランス語でポケトークに話しかけると日本語に翻訳てくれる。
その繰り返しの会話を続けていると、自動カウンター機に案内してくれた。「この機械は日本製」と笑顔でウインク。Eチケットを機械に通し、更に荷物の預かり書も発券され、そのタグの取付方まで親切に教えてくれた。ポケトークが面白かったに違いない。
ド・ゴール発アムステルダム行き11:45分 | 搭乗 | ド・ゴール空港離陸前 |
アムステルダム空港乗継 | 関空まで10時間16分 | アムステルダム離陸 |
10月8日(月) 5日目 関西空港到着8:45 5日間の旅も、あっという間に済んでしまった。色々な経験や観たり聞いたりで中身が濃かった。
関空まで10時間16分、座席前のテレビモニターも僅かしか観ず、疲れが出たのか食事の時を除いて、アルコールが入ると爆睡に近い状態だった。
この5日間の間に、何と台風21号で被害を受けた連絡橋が一部の対面通行で一般車も通れるようになっていた。当初はいつ復旧するか未定の状態だったが、国土省の厳しい要請と日本のハブ空港としての威信に関わる重大な汚点を残さぬために、必死の復旧ドラマがあったに違いない。