青森2泊3日の旅B


  2021年10月11日(月) 
   今日は昨日迄の好天から一転して終日雨模様の天気予報。夕方青森空港18:10の便で帰阪の予定の為観光は午後3時迄となる。よって津軽半島五所河原市にある作家太宰治のふるさと「斜陽館」、弘前市の弘前城、岩木山神社の三か所に絞り込んだ。ホテルから五所河原市まで約40分。ただっ広い津軽平野は冬になれば一面雪景色になるだろう。千昌夫の「津軽平野」の歌の情景が浮かんできた。
     
 早朝7時、雨と波浪注意報で海が時化ていた。
多分今日は仏ケ浦が欠航になっているだろう?
予め昨日と予定変更していて良かった(^^♪
ただっ広い津軽平野  「斜陽館 」に到着
斜陽館 
   作家「太宰治」の生家で、六男、修治(太宰治)の父は明治の大地主であった。この建物は明治40年に完成(庭園も含め680坪の豪邸)。造りは銀行も兼ねていたので、部屋数も19室。戦後になって島津家が手放し、旅館「斜陽館」として町の観光名所となり、太宰ファンが訪れていた。
太宰は小説『津軽』に「津軽平野のほぼ中央に位置し、人口五、六千の、これという特徴もないが、どこやら都会風にちょっと気取った町である。善く言えば、氷のように淡泊であり、悪く言えば、底の浅い見栄坊の町という事になっているようである」と。また彼はこの家を『苦悩の年鑑』の中で、「この父は、ひどい大きい家を建てた。風情も何もない、ただ大きいのである」と書いている。パンフレットより。
     
 正面 1階、座敷   1階、常居
     
 1階、板の間  庭園  階段
     
 2階、洋間 2階、「書斎」「母の居室」  2階、和室 


   弘前城
   江戸時代には、弘前藩津軽氏(4万7千石)の居城として、津軽地方の政治・経済の中心地であった。
2012年に本丸石垣に膨らみや天守閣の傾きが確認され、石垣修理と天守曳家で移動させた事ある。さらに今も以前の石垣補修で工事中。弘前公園の桜は有名で、日本さくら名所100選に選ばれている。
     
 追手門  下乗橋
本丸と二の丸を結ぶ橋で藩士はここで馬から降りる事に
天守 
現在の移譲された位置
     
 赤丸から移動(天守から見た時)
2012年に赤丸位置からここまで移動した
2025年に元の位置に戻す計画案  堀の石垣補修工事中 


 岩木山神社
   青森県最高峰、『津軽富士』と称される岩木山がご神体で、今から1200有余年前、岩木山頂に社殿を創建したことを起源とされる。本殿を始め主要な建物は国の重要文化財に指定され、津軽の正倉院とも称される。
また、岩木山信仰を支えてきた古社で、「東北の奥日光」と称される華麗な絵模様彫刻を施した社殿に、見事な杉木立が美しく調和している。
     
 道中、たわわなリンゴ畑が続く 雨で岩木山が隠れている  鳥居から岩木山を望む(霞んで見えず)
     
 存在感のある「楼門」  国重要文化財指定「中門」  「拝殿」



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