これまでイタリアには北から中、南へと観光してきたが、この北イタリアのドロミティ山塊にはいつか行ってみたい場所だった。折しも日本が過去にも類を見ない円安、渡航費もかなり高騰していたが、我々夫婦の年齢を逆算しても行けるときに行かないと後がない。
しかも、一部山塊の麓をゆっくり歩き、休息含めて往復3時間のハイキング。ラストチャンスと思い家内と相談の上、ツアーに参加する事にした。幸い我々と同年代の人が多く、何とかついていける事が出来て良かった。
素晴らしい天候にも恵まれ、観光8日間の旅は、大いに満喫出来た。カタール航空、ドーハ乗継のミラノ迄、総飛行17時間の長旅が些かの疲れが玉に瑕。
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ドロミティ 標高2243mアウロンツオ小屋からラヴァレード小屋まで、往復4キロ弱のハイキング |
2024年7月8日(月)〜15日(月) | |
7月8日(月) | 関空発18:30、ドーハ乗継ミラノへ。 |
7月9日(火) | ミラノからベネティアへ。ベネティア観光後コルティナ・ダンベッツオへ。 |
7月10日(水) | ホテル7時発ドロミティ山塊へ。アウロンツォからヴァレード小屋を往復。 ミズリーナ湖散策とポルドイ峠及び昼食後ポルドイ峠へ。マルモラーナ連峰の絶景を眺望。 |
7月11日(木) | ホテルからドロミティを象徴する 風景で知られるサンタ・マッダレーナ村散策。 その後、ボルツアーノに戻り、自由行動。そしてヴェローナー観光。 |
7月12日(金) | 世界遺産のチンクエテッレ観光。ローカル列車でマナローラ、ベルナッツア。ミラノ宿泊 |
7月13日土) | マジョーレ湖のターラント邸庭園観光。及びベッラ島にボートで渡る。 ボッロメオ宮殿と庭園観光 |
7月14日(日) | 12:45にミラノより帰国の途に着く。 |
7月115日(月) | ドーハ経由で関西空港17:00着 |
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2024年7月8日〜9日 関空発18:30発、ドーハにて乗継、ミラノへ翌朝7:10着 その後、ベネチアに。
今までドバイ経由が多かったが、今回カタールのドーハが初めてだった。ドバイに勝るとも劣らぬ大きくて立派な空港だった。
関空からミラノまでの総飛行時間が約17時間、更にミラノからベネチアまで314kmのバス移動。約3時間。
それから休みなくベネチア観光。その日は34℃の灼熱の暑さ。睡眠不足に観光でヘトヘト。ベネチアには二度目の訪問。
サン・マルコの鐘楼の見学は、当日券で約1〜2時間の時間待ち。今回は時間がないのでパス。(昔、上っているので)
観光後、今夜の宿泊地コルティナ・ダンペッツォまで158km移動。後期高齢者の身に些か負担が大きかった。
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ドーハ―の位置と様子。ドバイは右側 | ベッチアのドゥカーレ宮殿とサン・マルコ寺院 | 左に鐘楼 、中央にサン・マルコ広場、 右にドゥカーレ宮殿 |
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左にドゥカーレ宮殿、及び鐘楼 | 「溜息の橋」 トゥカーレ宮の地下牢獄が満水時には水牢となったり、 二度とこの世に帰れないと溜息をついたという逸話。 しかしカサノバがこの牢を脱獄したのは有名な話。 |
対岸に見えるサン・ジョルジョ ・マッジョーレ 教会と鐘楼 |
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2024年7月10日 アウロンツォからヴァレード小屋を往復。その後ミズリーナ湖へ。散策後ポルドイ峠、マルモラーナ連峰の絶景を堪能。昨夜の疲れは、この好天と絶景で吹き飛んだ。今夜の宿泊地ボルツァーノへ。
この日の為に家内はハイキング靴を購入し、ストック2本で歩行の補助に使った。次々と観光者や家族連れ、又は車椅子で来るツワモノもいた。やはり自分の足でしっかり見たかったのだろう。道は平坦だが小石がころがり、付き添いの人も楽しそうに景色を共有していた。
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宿泊地、山岳リゾート地コルティナ・ダンペッツォ 夕方の町から見えるドロミテ山塊の一部。 |
早朝、ラヴァレード小屋に向かう途中 出発地のアウロンッオ小屋を振り返る(右上) |
ラヴァレード小屋に向かって 小石が多いが 平坦な道 |
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ミズリーナ湖畔を30分の散策 | 気管支喘息の子供用医療施設(中央) ソラビス山、クリスタッロ山塊(背景) |
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ボルドイ峠の駐車場より後方の サス・ポルド山頂までにロープウェーで。 |
サス・ポルド山頂(2950m) ドロミティのテラスと称されるサス・ポルドから Piz Boe(3152m)を望む |
マルモラーダ山群(最高地点3342m) |