スペイン情熱紀行8日間(4)

5日目
       アルハンブラ宮殿

このアルハンブラ宮殿観光は、私の一番楽しみにしていた内容だった。昔この地を訪問した知人から散々聞かされていただけに、今回スペインを選んだのも、これなくしてあり得なかった事だ。ところが、降雨の少ないこの地域、生憎雨と雷、挙句雹まで降る天候だった。そこは楽天的な私の事、却って自然豊かなものも見えると思った。確かに草花は青々と色づき、水もたっぷり満たし、全て自然の力学を利用して作られた最高の芸術作品を再現してくれたかのように思った。それは、14世紀にすでに水洗便所、冷暖房付き?宮殿として作られていたという事実。そこに王様がハーレムの暮らしを行っており、男性の立ち入り禁止、王以外の男には全裸の女性を見る事のできないように目を潰され宦官にされ、二階では楽士達がアラブ音楽を奏でるという何という恐ろしい世界があったのだ。王様が池に投げ込んだリンゴの実を女性達(殆ど10代)が必死の思いで競争し、そのリンゴを捕った者に王様の寵愛を受けるという将にこの世の快楽主義を実践していた時代を見聞し、そこに繰広げられた哀しくも哀愁を含んだ「アルハンブラの想い出」のトレモノのギター音色が私の頭の中に聞こえてくる。そして壮大にして精緻・優美なこの世界遺産を訪れることは、スペイン旅行最大の喜びと目的であった。勿論、入場数制限も厳しく、完全予約制。現地ガイドが必ず同伴。当日予約だと数時間待たされるか出来ない場合もあるという。

そもそもこのグラナダは、幾多の歴史的遍歴を有し、華麗なイスラム文化と質実なカトリック文化が混じり合う古都で、この宮殿はスペインに屈服させられたイスラム教徒の宮殿であるということは象徴的な意味を持っている。14世紀に建てられたアルハンブラ宮殿の中核をなす王宮は、宮殿北側に位置し、歴代21人の王が4人の正妻や妾たちと生活を共にしたところで、「ライオンのパティオ」は宮殿の中で最も有名な中庭で、124本の大理石の細い列柱が立ちならぶ回廊に囲まれている。中庭には12頭のライオンが雪花石膏の水盤を支え、シエラネバダの嶺から流れ来る清水が噴水となって湧き出ている。ここは王の寵愛を受けていた女性たちのハーレムで、大理石柱の装飾はアラビア建築の最高峰といわれる。
カルロス5世宮殿入口 カルスト5世宮殿の円形パティオ コマレスの塔
マチュカのバルコニー 絵タイルと化粧漆喰で飾られた内部 天井の図柄
アラヤネスの中庭から
カルロス五世宮殿
アラヤネスの中庭から
コマレスの塔
ライオンの中庭
(現在工事中の為、ネットから転載)
モカベラの装飾が美しい二姉妹の間 二姉妹の間の噴水 中庭
アルバイシン、サクロモンテの丘を望む 中庭 王女達の塔と城壁
(下の通路は馬が通る)
ヘネラリーから見た宮殿 ヘネラリー(王の夏の離宮)の庭園 その2
アセキアの中庭 随所に噴水設備を配置 水洗便所(上から水を落とす仕掛け)

バレンシアへ移動
アルハンブラ宮殿の見学は午前中掛かり、ホテルで預かりの荷物を貰い、アルハンブラを後にした。これよりバレンシアに向けて約533キロ/約7時間40分)移動。途中、昼食はドライブインでイカ墨煮を食べる。食後、更にバレンシア方面へ移動中、その3日後にスペインで地震発生(Lorca地方で)した。被害者も出た。その状況は日本に帰った時、テレビで知った。誠にラッキーにもその地域を走っていたのである。偶々その付近の様子を写真でも撮っていた。岩肌の露出した山岳地帯で、とてもこんな場所で地震が発生するとは想像もつかない。でも事実発生したのだ。震源も1キロ弱という。この時の場所と記事を掲載。今や世界中何処でも地震が発生してもおかしくない状況にある事を思い知らされた。
夕方6時30分頃バレンシアに到着。すぐ予約レストランに直行して、夕食はシーフードパエリアを食べる。偶々そのレストランに設置していたテレビで地元の客が近くで行われている闘牛場のテレビ観戦をしていた。最近、スペインでもこの闘牛に関する世論が二分しているとの事。血生臭い残虐な行為に対し、動物愛護団体や一般市民も増えたらしい。この日のホテル到着は、夜の8時20分だった。でも外の明るさはかなりのもの、早速近くのショッピングセンターに出掛け、土産物を買う。
一路バレンシアへ7時間の移動 昼食はイカ墨煮 3日後、この地域で地震が発生した
Lorca地帯の様子。
夕食はシーフードパエリア 地元テレビで闘牛を放映 今夜の宿泊ホテル(4つ星)



前のページに戻る                               次のページ6日目に移る