5月4日(木) 3日目 | |
ラトビアからリトアニアのビルニュス迄300キロの移動、 | |
ラトビアのホテルを8:00に出発し、平坦な対向2車線の国道が続く。午前中は殆ど移動時間に費やす。杉林の続く国道で、私の持病である花粉症に忽ち洗礼を受ける。くしゃみ、鼻水、おまけに下半身にアレルギー反応の蕁麻疹まで。痒い痒い! どうも私だけでなく、ツアーの中にも同じ反応する人二人いた。 |
昨夜の宿泊ホテル:コローナホテル (リーガ) 早朝の気温6℃、少し肌寒かった。 |
一路300キロ、この様な平坦な原風景が続く | トイレ休憩。 杉林の花粉飛散に忽ち花粉症 発症。リトアニアは林業も盛んで、しゃ〜ないか。 |
リトアニアの首都ビルニュスに到着〜歴史地区観光 |
ビルニュスは、緑に囲まれたバルト三国の首都では、唯一内陸に開かれた街。ガイド本によれば、ドイツ商人の影響を受けずに建設されたため、タリンやリーガと異なり、天を突くゴシック教会の代わり、柔らかな線のカトリック教会が多く見られ、温和な雰囲気を漂わせていた。 古い歴史の中、ドイツやポーランド、及びソ連にも侵略され、第二次世界大戦の終結後になって、やっと国を取り戻すチャンスが訪れたという苦難な時代があった。島国日本は、こうした侵略されたという経験がないだけに、大陸続きの国の人達は、計り知れない程の民族・防衛意識が高い事をいつもながら諸外国に行くといつも感じる。因みにリトアニアは軍隊及び徴兵制があり。 また、ここは教会の多さにも驚かされ、人々の誠実な信仰心が反映しているのだろう。それがソ連から独立運動で武力にも屈せぬ不屈の精神を発揮した所以かも知れない。 現在の平均月給9万円位、在留邦人82名(添乗員の情報より)。本日の天気は、曇りのち晴れ、気温日中で12〜13℃ |
ビルニュスの一般的な住宅街 | 路線バス待ちの親子 | 昼食は、リトアニア料理のツェペリナイ ジャガイモ団子のような食べ物で、モチモチした厚めのジャガイモの皮の中に、豚肉のひき肉などの詰め物がされていた |
「城の丘」 ネリス川を手前にふたつの丘にリトアニアの国旗が掲げられている。ゲディミナス塔と十字架の丘だ |
ゲディミナス塔 | 十字架の丘 |
ビルニュス旧市街に入る | 鐘楼と大聖堂 | |
大聖堂内部 極めてシンプルな装いであった |
大聖堂の祭壇 | ビルニュス大学構内、1570年創立 12の中庭と、正面に聖ヨハネ教会と鐘楼が 大学の教会として。現在2万人の総合大学である |
その聖ヨハネ教会内部 | 聖ヨハネ教会祭壇 | 構内の学生達 |
今日5月4日は「消防の日」。市民をはしご車に 乗せるサービスを行っていた。若者達が列をなして いた。 |
旧市街地と後方の丘がゲディミナス塔 | リトアニアは琥珀の産地で有名。その中で、 虫とか植物等が入っているのが値打ちがある。 |
「聖アンナ教会」と後方に「ベルナルディン教会」。 前方は15世紀に建てられたゴシック様式、 後方は、15世紀半ばに創設された教会と修道院 |
真横から見るとこんな具合 双方レンガが特徴だが、前方は33種類もの異 なった形のレンガが使用されている。後方は赤 レンガ |
「聖ペテロ&パウロ教会」 バロックの街ヴィリニュスを代表する、いわば 記念碑的な建築だ。内装には30年余の時間が 掛けられている。 |
聖ペテロ&パウロ教会には、2000以上の漆喰彫刻 で埋められ、一つとして同じものがない。 |
立派なパイプオルガン | 彫刻だけでなく、絵画でもビジュアル化 |
「夜明けの門」 元来9つあった城門が、現在はこの一つのみ |
その城門の上にあがると、小さな礼拝所になって いた。一心に祈りを捧げている信者が多数いた。 この聖母イコンは奇跡を起こす力があるという。 |
「聖霊教会」 リトアニアにおけるロシア正教の中心的教会。 ピンク色の門が目立つ。 |
ビルニュス歴史地区観光後、杉原千畝石碑と桜 |
ここは市民憩いの公園内にあり、季節が5月、日本では桜の季節がほぼ終盤だが、ここリトアニアでは未だ蕾らしい。 ネリス川を西に、国立美術館のすぐ近くに杉原千畝の石碑と桜が植樹されていた。確かにチラホラ蕾と一部開花のものもあったが、如何に彼は、この国の人達に貢献し、敬われているかを理解できた。日本人として誇らしかった。 |
杉原千畝の石碑 | ネリス川と石碑周辺に植樹された桜 | 一輪に咲く桜 |
市内はトロリーバスが市民の足 | 若者達 | 今夜の宿泊ホテル |