5月5日(金) 4日目 | |
リトアニアの首都ビルニュスから第二の都市カナウスへ | |
ビルニュスからカナウスの距離差は約100キロ。位置的には西の方角である。 リトアニア第二の都市カナウスは、14世紀中世の面影を残す古い街だ。15世紀半ばにハンザ同盟の代表部が設けられ、商業活動の中心地として繁栄した。旧市街には、この頃のゴシック建築が数多く残っている。 このカナウスが、両大戦間の22年間ポーランドに占領されていたビルニュスに代わって、リトアニアの首都を代行していた。 だから今も、首都ビルニュスに対抗する意識が強く残っているらしい。 何故、このカナウスに観光するかと云えば、旧市街を散策するだけでなく、あの杉原千畝に深く関りがあるからである。 本日の天候、曇り、多少のにわか雨、気温9〜10℃。 |
昨夜泊ったカロリナホテル | 杉原千畝が家族とも生活していたかっての日本 領事館。大切に杉原記念館として保存。 閑静な住宅街にあり、少し上級の民家のよう。 |
裏庭から |
執務室 | 家族と本人の写真 | 本人と日本領事館 |
執務している様子。 写真モデルは私と家内 (^ ^ゞ ポリポリ |
唐沢寿明主演で映画化もされている。 まさに「日本のシンドラー」だ ナチスによる迫害から逃れるユダヤ人のために 独断で日本通過のビザを発行に何と1600人 |
『1940年8月28日〜9月4日まで、メトロポリス・ ホテルに滞在した杉原千畝は「命のビザ」を発給 し続けた』と、このホテル入口の左にプレートが。 (白枠部分) |
国からの退去命令により、ここカナウス駅から出国 | その駅の壁にも記念プレートあり | 列車が出る間際までピザを発給し続けた。 現在の電車と同じ方向、旧ソ連経由の日本へ。 |
カナウス市内観光 |
カナウスの見所は、旧市街から独立広場にある聖ミカエル教会迄の区間だが、ツアーは時間的制約の為、市街地周辺に時間を割いた。 |
ヴィタウタス大公教会 | ベルクーナスの家 15世紀に建てられたゴシック様式の傑作 |
市庁舎広場と旧市庁舎(18世紀に建替え) 白鳥に例えられる美しいバロック様式の建物。 現在は、結婚登記所になっている。 |
聖ペテロ&パウロ大聖堂 | その大聖堂内部 | 大聖堂の祭壇 |
旧市街のメインストリート、ヴィリニアウス通り | 市庁舎広場 左にイエズス教会と正面に旧市庁舎。 因みに、右手前奥に聖ペテロ&パウロ大聖堂が 位置する。 |
カナウス城 13世紀にドイツ騎士団の侵略を防ぐため造られた城。元々台形の城壁に4つの塔を持っていたが、今は修復された塔と城壁の一部のみ。 |
シャウレイの十字架の丘 |
カナウスからリーガ(ラトビア)に戻る途中にあるシャウレイに立ち寄る。ここに大小無数の十字架が立ち並び、まさに壮絶という言葉がピッタリする。高さ5m以上の芸術的な十字架から、鈴なりに掛けられたロザリオまで、その数はリトアニアの生存者より多い。。但し、ここには死体が埋められていないので、墓地ではない。最初の十字架は、1831年ロシアに対する蜂起の後、処刑や流刑にされた人々のために建てたらしい。それから何度もソ連によって撤去されたが、すぐに復活。近年になって、諸外国の訪れる人が残していく十字架で益々膨らみ続けているという。 |
十字架の丘 | 無数の十字架に今も膨張し続け、山となっている | 芸術的なものまで多数 |
リーガ(ラトビア)に到着 |
今夜の宿泊ホテルは、2日目と同じコローナホテルである。夕食に行くため、、ブラックヘッドの会館の前を再度通りながらレストランへと行った。 |
リトニア風パイ料理キビナイ | 夕方のリーガの街(20:42) | ブラックヘッドの会館(右) 写真撮影:20:44 |