新緑の英国6日間、その3


 4日目
ストラドフォード・アポン・エイボン〜コッツウォルズ地方〜ボートン・オンザ、ウォーター〜バイブリー〜チッピングノートンへ
(日の出5:45分、日の入り20:24分 14/8℃)今日はホテルの移動日。荷物をスーツケースに入れるが、土産物が増えて全部賄いきれない。予め別のバックに収納、二つになった。でも専用バスの移動なので、何ら問題なし。ホテルを8時出発する。

●今日は南に206km約3時間、トイレ休憩も挟んでストラドフォード・アポン・エイボンへ。ここはシェイクスピアの産まれた町だ。商人の子として長男で生れ、やがて偉大な劇作家として世界中にその名を知らしめる事になる。現在でもこの町は400年も前に亡くなったシェイクスピアを中心に動いていると言っても過言ではないと言われる。いかにその偉大さが解るといえよう。町には生家や埋葬された教会など、彼にまつわるいくつもの建物がいくつも残っている。全部くまなく見る時間もないので、添乗員ガイドで主な所だけ見学。町の外れの駐車場から。若干フリータイムもあったので、駐車場で集合という事で町中で解散。一直線に戻れば簡単に戻れるとの事。家内に付き添いスーパー2か所を梯子(手土産物色の為)。

さて、待ち合わせ時間が残り少なくなったのでメイン通りを直進して戻ったつもり。が、どうも街並みが同じように見えたが何となく違うように感じた。家内に「この道違うぞ!」と云ったが「いや、この道で間違いない」と。家内は少し方向音痴なところがあるので、あまり信用していなかった。
そう云えば、200m手前の道でY字路に分かれていたのを私は気づいていた。その時「確かこっちの道じゃ〜ないか?」と云ったが、「大きな道なのでこっち」と言うし、あまり確証もないから妥協した。200m戻るにも時間がない。添乗員に携帯電話するが掛からない。通りすがりの二人に駐車場を聞くが、どうも言葉が通じない。ヘンリー・ストリートに立つ道化師の像をジェスチャで真似するが理解して貰えない。偶々赤い服着た郵便配達夫らしき人?が通り合わせ、その人が親切に教えてくれた。「このまま進むとPの標識がある。そこを右に行け」と。が、行ってみると標識が左をさしていた。どちらを信じたら良いのか迷ってしまった。かくなる上は「もう遅れても良いから200m戻って確認した方が確実だ」と強引に家内を引っ張った。今まで山で培った経験が生きる。後で地図を確認すると、我々が間違ったのはウッド・ストリートだったのだ。フランスの街でもこういったY字路が多く、夜など一歩間違えると同じような建物なので判らなくなり、元に戻れなくなる事がよくある。5年前のフランスの時、ツアー客の娘さんが帰れなくなり、夜遅くタクシーで帰った事もあった。結局10分遅れ、迷惑かけてしまった。フランスと違って単純な町なのに・・・ (^.^;;;アセアセ
   ★ストラドフォード・アポン・エイボン
ヘンリー・ストーリトに立つ道化師の像
後方に市内を巡るツアーバス
シェイクスピアの生家 白壁に黒い梁。こうした建物多し。
数百年の家だけに建物が変形。
地元学生達の課外授業
シェークスピアの勉強
ザ・シェークスピア ホテル 引退後没するまで過ごしたニュー・プレイス。但し、今は土台だけしか残っていない。
街角に咲く5月の花々 エイボン川 ナローボート(クルーズ船)
●昼食後、更に南に38km下った所にある『絵はがきのような可愛らしい村々』が点在するコッツウォルズ地方へ。ここはロンドンからでも西に1時間30分の所に位置し、今でもリタイアした老夫婦が一度は住んでみたいと憧れる人気のある場所とか。このコッツウォルズとは「羊が居る丘」という意味で、結構その範囲も広い。今回、その中でもボートン・オンザ・ウォーター(コッツウォルズのヴェネッツィアと呼ばれている)、バイブリーの2か所を周る事になる。コッツウォルズの町を彩るのは、この地方で採れる石灰岩、ライムストーンLimestoneだ。北東部ではハチミツ色をしたこのライムストーンは、中部では黄金色となり、更に南西に下るにつれ真珠のような柔らかい白色へと変化していく。僅か1m程掘ればそのライムストーンに突き当たり、それをスライス状に割る事出来るので、皆重宝して家の屋根とかレンガの替わりに使い、柔らかい独特な雰囲気を醸し出しているという事だ。ガイド本にも、のんびりとした時間を過ごすことこそが、コッツウォルズを旅する楽しみだと書かれている。が、残念ながら我々ツアーにはそんな時間がない。サッと訪れ、さわりだけ見て、サッと去っていく者にとって、その良さを十分味わう事が出来なかった事は誠に残念だった。

無粋な私から見れば、ある意味で日本の何処にでもあるような美しい村風景で(石造りの家はないが)、そのライムストーンで作られた家は、どうも辛気臭さを感じた。しかし、これは余りにも誇張されたイメージを描きすぎたのかもしれない。やはりここは時間をかけ巡ってみないとその良さを理解できないのかも。緑の中に囲まれた家々、花々にも囲まれ、ゆっくりとした時を楽しむイギリス人好み、らしさが本当のおしゃれなんだろう。イギリスガーデニングという言葉があるように。災害列島の日本、その美しい自然が壊されていく事に悲しみを感じた。逆に自然災害の少ないイギリスを羨ましくも思えた。何せここは大都会ロンドンで住んだ人達の憧れの地なんだから。
    ★ボートン・オンザ・ウォーター(コッツウォルズのヴェネッツィアと呼ばれている)
ウインドラッシュ川のほとり 民家
川のほとりでおしゃべりを
町の通り 寛ぐ地元の老婦人
    ★バイブリー(芸術家、思想家のウイリアム・モリスはバイブリーに住みつき、「イングランドで最も美しい村」と評した。)
美しい村 14世紀に建てられたアーリントン・ロー 民家
コーン川 写真奥でマスを養殖。4〜10月に放流される。
●コッツフォルズ観光も終わり、今晩の宿泊地、チッピングノートンまで34km。ホテルに着いたのがPM5時過ぎだった。この宿泊地のマナーハウスは、元々領主の館で、広大な土地に領主の館を改装してマナーハウスにした珍しい建物である。入口から館までゴルフ場の中を走る事数分、何という広大な敷地か。更にびっくりしたのが館そのもの。ミニバッキンガム宮殿みたいだった。多少真似をしたと思われる造りだ。その裏庭も似せたような造りで、ゴルフ場へと繋がっている。目の前のホールは何番ホールだろうか。まさにヒィエ〜だ!この領主は、その昔奴隷売買で財をなした人だと添乗員から聞く。
マナーハウスは館を小刻みに部屋に分割したので、一般のホテルに比べれば少し狭い。バスルームもシャワーだけしかない。それでも何ら遜色ない内容だった。

夕食はホテル内で採り、きちっとした身なりの係の人が応対してくれた。イギリスは、食事中にナイフかフォークを床に落としても、絶対自分では取らない。係の人を呼んで取って貰うのがマナーとか。このイギリスマナーは知っていたが、実際私はうっかりナイフを下に落としてしまった。ついつい日本流に自分ですくい上げた。それを見た添乗員が、そのままにして係の人を呼んで下さいと言われた。その時、アッと思ったが、咄嗟に自分の身体が反応していたのだ。やはり日本人のマナーでは、自分のミスを他人にして貰うという習慣には馴染めない。イギリスは使用人に全てをさせるので、いつの間にかそれがマナーとなったのだろう?我々からすれば、何と横柄な事よ!事実このマナーハウスは更にこだわりがあり、従業員は全て白人のイギリス人のみ。皆育ちの良い血統書付と添乗員が言っていた。
館内は食事をするダイニング以外に、ラウンジ、バーなどゆったり過ごすスペースが取られ、緑あふれる自然に囲まれているのが特徴であった。
外は小雨が降り始め、少し肌寒かったが、館内はスチーム暖房が効いていたので全然寒くなかった。寧ろ暑い位だった。
ヘイスロップ パーク ホテル 
正面玄関
ロビー
裏庭 裏庭2 ラウンジ
ホテル周辺がゴルフ場 寝室 ダイニング



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